みなさまいつもありがとうございます。
(↑大柏川調整池緑地へお出かけしました。)
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(↑歯医者さんY先生と子どもたち)
今日は歯科健診の日でもありました。
Y先生はとても気さくな方で、昨年の記事「歯科健診、僕にとっても楽しい時間」(前のブログ記事:開くのに時間がかかります)にも書いている通り、楽しい時間でした。
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そして、話は変わるのですが、「よろしければご活用ください」とY先生からレプリコンワクチンの危険性を訴えるチラシをいただきました。
前述の記事に書いた通り、先生とは、コロナ禍でのあり方についての感覚も互いに近く、だからこそお持ちくださったのでしょう。
先生は歯科医師会の要職にある方。「お立場的に大丈夫ですか?」と軽くお聞きしましたが、大丈夫とのことでした。
レプリコンワクチンのことは、8月6日の記事「こころの分断を生みださず、愛の感覚で調和を図る」で書いていますが、こうしたチラシをいただきましたし、自分なりにもう一歩この問題に向き合ってみようと思いました。
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前述の記事から引用します。
このレプリコンワクチンなるものに、僕たちはどう向き合っていけばいいのでしょうか?
具体的にはその時々の状況を踏まえて考え・行動していくのでしょうが、今の段階で決めていることがひとつあります。
レプリコンワクチンは怖ろしい。生命へのリスペクトが少しでもあれば、決して生み出そうとは考えないものだと思います。そして、そうした情報を闇に葬ろうとする”お上”も本当に怖い。
ですが、僕たちが最も怖れるべきなのは、「こころの分断が生まれること」だと思っています。疑心暗鬼が世にはびこることだと思います。
ワクチンの恐怖に取り込まれることがないように。
人の尊厳は、ワクチン接種とはまったく別の次元の話であることを忘れずに。
こころの分断を生みださず、愛の感覚で調和を図る。僕の・ひだまりの、これからも変わらない基本方針です。
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チラシの内容については、全体的に同意します。
ですが、チラシにあるように「共に立ち上がろう!」とワクチンストップに向けて、僕が積極的に活動をすることはないと思っています。
話は変わりますが、『思考が先、現実は後』という話、このブログで何度も書いてきています。
「僕たちの想念(思考)が、それに相当する現実をホログラムのように創りだし、それを僕たちは体験している」、これが世の中の仕組みだと僕は思っています。
そうした前提に立つのならば、ワクチンストップの活動をしようと思えば、そこに向けて想念をフォーカスすることになります。
となると、”ワクチン問題が気になって仕方がない現実”を創造してしまうと思うのです。
そう考えると、ワクチンへの怖れは可能な限り一度手放して、この問題を忘れてしまうぐらいの方がいいのだと思っています。
むしろ僕たちがフォーカスしたいのは、個々の問題ではなく、僕たちそれぞれの”内面”。
チラシに「今、まさに亡国の危機」とありますが、その通りだと思います。ですがそれは、僕たちの内面が危機的だからこそ、そうした現実を創造してしまうということです。
ワクチンの危険性を隠して、摂取させようとする世の中は、嘘にまみれていると思います。ですがそれは、僕たちの内面が嘘にまみれていることを示唆しています。
問題を自分の外側に求めずに、自分の内面に求める。他責ではなく、自責で。
「(こんなワクチンをはびこらせてしまう世の中を創っている)俺の心の中、どーなってんの?」、と僕自身に問いたい、と思います。
「俺は本当はどんな世界を生きたいと思っているの?」、問いたいと思います。
賛同いただけるのであれば、みなさまもやってみてください。
結局のところ、僕自身の心の中の”捻じれ”を見つけ出して・癒して・解消していかない限り、この問題は解決しないのだと思っています。
そして、心の”捻じれ”が少なくなって、心の中がよりシンプルになった時、この問題は自然に解決にむかっていくのだと思っています。
解決のストーリーは、このチラシに載っているような方が活躍するのかも知れません。原口議員のような方が活躍するかも知れません。我那覇真子さんがもてはやされているかも知れません。
ですが、そのストーリー自体は、僕にとってはどうでもいいこと。
野次馬根性を捨てて、「あっ、解決したのね。」ぐらいの注目度でちょうどいいのです。
それ以上注目しようとすると、そこにエネルギーが流れ、ワクチン問題が気になる現実を創造してしまいますしね。
今の僕の感覚はこんな感じです。今日はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
〈給食〉
・五分つきごはん ・豆腐とにんじんの炒め煮 ・コーンと枝豆のおみそ汁 ・キャベツとわかめのもみ漬け
〈おやつ〉
・かつおぶしと白ごまのおにぎり
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