ガラケーからスマホへ乗り換え

感覚・感情メイン

みなさまいつもありがとうございます。

(↑今日は写真なしにつき、先日の南高尾山稜のでの1枚を掲載します。)

 

 

上の写真、いわゆる”ガラケー”です。今でも僕が使っているもの。

妻からは、「今でもガラケーを使っているのは、名探偵コナンの蘭ちゃんとあなたぐらいじゃないの?」、と言われています(笑)。

(蘭ちゃんのガラケーは、幼馴染の新一から贈られたものなので、スマホに乗り換えられない、という設定なのだそう。)

 

僕のガラケー、基本は電話の待ち受け専用につき、一度充電をすれば1週間はもつのです。無精な僕には大変重宝していますし、いつまでも使い続けたいと思い今に至っています。

今はiPad miniとの2台持ちですし、データ通信の面でもまったく困りませんし。

 

そんな僕のガラケーは、息子がスマホに乗り換えた際のお下がり。通算10年以上は使っています。

そんなこともあって、最近は少し調子が悪くなってきましたし、最後まで残ったドコモの3Gサービスも来年3月で終了。

そんなこともあって、ついにスマホに乗り換えることになりそうです。

 

☆ 

先程、”iPad miniとの2台持ち”と書きましたが、iPad miniもコロナ禍の時に行政に買ってもらったもの。それ以前はガラケー一本でした。

lineのアプリを普通に使うようになったのもここ数年ですし、交通系icカードの導入もここ1~2年。

それでも特に不自由は感じませんでした。

 

マイナンバーカードなんかもそうですが、何でもデータを連携・統合しようとする動きに、長い間危機感を持ってきました。

データを連携・統合するのはいいけれど、それを運用・活用する国や組織の愛のレベルがまだまだ低いように思えて。

グローバリズムの流れの中で、適度に(?)悪用もされてきたように想像します。頻繁に起こるデータ流出の不祥事も、”喉元過ぎれば熱さを忘れる”的に忘れ去られるのも何だかなぁと思ってきました。

そんな感覚から、便利とされているものから、あえて距離を置いてきた面が僕にはありました。

 

今はどうかと言えば、地球全体の愛のレベルがどんどん高まる流れにあると感じていますし、僕もその流れに身を委ねる感覚が強いですので、データ連携・統合にさほど危機感を感じていません。

もっとも、人々の愛のレベルが高まり、人々がより自分自身に集中するようになれば、過剰なデータ連携・統合は不要になってくるようにも感じていますが。

 

そんな中でのスマホへの乗り換えになりそうです。

お読みいただきありがとうございました。

〈給食〉

・五分つきごはん ・ちくわとひじきの炒め煮 ・もやしのおみそ汁 ・小松菜となすの煮物

コメント

タイトルとURLをコピーしました