みなさまいつもありがとうございます。
(↑長津川親水公園にて)
ひだまりを始めて17年、保育者としての経験も積み重なってきています。我が子たちも成人しています。
僕がお母さま方にアドバイスをできる領域も拡がっていて、その的確さも増していると感じています。
もし僕がアドバイスを試みれば、お母さま方、耳を傾けてくださると思っています。
ですが今の僕、以前ほど、アドバイスはしなくなったと感じています。アドバイスをするにしても、相手にとって無理がないことを心がけていますし、押しつけ的にはしなくなったと思っています。
勿論、相談いただければ喜んでお答えしますし、一緒に考えもするのですが。
以前ほどアドバイスをしないのは、以前より相手の人生を信頼するようになっているから。
「相手の人生は相手のもの。成長の機会も・失敗の機会も相手のものであり、その芽を先回りして摘むことは、愛に乏しい行為。」、そんな感覚が強まってきています。
ちなみに、自分の人生への信頼感が増すにつれて、相手の人生への信頼感も増していきました。
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少し前に、あるお母さまがある試みをしました。
話を聞いた時、お母さま自身を悩ます結果につながる可能性が頭をよぎりましたが、特に何も告げずにお母さまを見守りました。
結果としては、僕が危惧した方へ進んでいき、困ったお母さまは僕に相談くださいました。
お母さまには、その時点で必要なアドバイスを伝えました。お母さまは納得くださり、その後にこんなことを言われました。「じゅん先生は、こうなることが分かっていたのですね。」、と。
はい、その可能性はそこそこ高く思えていました。
ですが、僕が先回りをして「やめた方がいい」と言ったとしたら、お母さまを困らせてしまっただろうと思っています。お母さまは試みたかったのですから。
お母さまには、「自分が思うとおりにやってみて、結果としてうまくいかなかった」という経験が必要だったのだと思っています。
その経験があるからこそ、僕のアドバイスに納得くださったのだと思っています。
どんなアドバイスも、相手側の準備ができていなければ有効ではありません。物事には適期というものがあるのです。
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話は変わります。
保育現場で子どもたちと接していると、子どもたちの感情が自分の中に流れ込んできます。
その中には、「お母さん、もっとワタシを見て!」みたいなものもあります。
子どもたちに感情移入すると、お母さまに対して、「もっと見てあげて! もっと分かってあげて!」と思う時もあります。
ですが同時に、そのメッセージを受け取るためには、お母さま側の準備が必要なことも分かっています。
前述のように、メッセージを受け取るにも適期があるのですから。
お母さまの心の準備を待ちながら・時にはそれをゆるやかに促しながら、母子の気落ちが自然につながっていくことを見守っていたりもしています。
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話はまた変わります。
このブログでも時折紹介している本「アミ 小さな宇宙人」に関連して。
アミの話の中で示唆されているのは、僕たちの地球文明は今、存続と滅びの瀬戸際に立たされているということ。
人々の愛のレベルより文明の科学技術のレベルが突出してしまえば、必ずその文明は滅びを迎え、多くの人々は死に至るということ。
地球文明より愛のレベルがはるかに高い文明が、宇宙のあちこちに存在していること。彼らは地球文明がこの危機を乗り越えることを願ってくれていること。
彼らは、はるかに進んだ科学技術も持っていて、地球の問題を解決することもできること。だけど、そうした過干渉は行わないということ。それは僕たち地球人類が自ら成長するチャンスを奪うことであり、愛に乏しい行為だと考えていること。
大っぴらに過干渉はしないけれど、ヒントのようなものは、僕たちの成長のチャンスを奪わない範囲で、提供してくれていること。
そうして見守り・応援してくれているけれど、もし僕らが滅びの時を迎えたとしても、助けてはくれないということ。それさえも見守ることがより高次の愛だということ。
などなど。
より高次の愛は、人類の滅亡さえも見守るのかぁ。
僕は、とてもその境地に達していませんが、日々自分の中の愛を見つめ、精進していこうと思っています。
お読みいただきありがとうございました。


(↑お庭の花たち)
〈給食〉

・にんじんそぼろごはん ・油あげとキャベツの煮びたし ・なすと玉ねぎのおみそ汁
〈おやつ〉

・白ごまとおかか混ぜおにぎり
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