みなさまいつもありがとうございます。
(↑長津川親水公園をお散歩中)
《入園説明会(要予約)》
2024年7月27日(土)の9時半から開催いたします。
詳しくはこちらをご覧ください。
標題の通りですが、エネルギーの大きな転換点である夏至を迎えるにあたって、今の自分の感覚を書き記しておこうと思います。
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先日この記事で、「自分の感覚(波動)が研ぎ澄まされていき、自分と万物のつながりがより深く感じられていけばいくほど」と書きました。
蚊に刺されているのを発見すると、思わずパチンと叩いてしまったりの僕ですが、自分と蚊のつながりを感じつつも、蚊を殺している自分の不調和を感じたりしています。
自分も蚊も世界も大きくつながっているのだから、「僕が蚊に刺されることって、大したことじゃないよなぁ。」、そんなことも思ったりします。
また、「この世界は自分の想念が映し出した、ホログラムのようなもの」とよく書いていますが、”三次元世界の生物”としての自分の視点と、”ホログラムの創造主”としての自分の視点が常に同居している感覚です。
そして、後者の感覚が次第に強くなっていることも感じています。
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先日、園のそばのクリエイトさんに行った時、お米売り場の棚が”すっからかん”でびっくりしました。ただちに”米騒動”を意味するものではないですが、お米もやはり品薄なのですね。
取引先のお米屋さんによると、新米が収穫された昨年9月に比べて、お米の仕入れ価格が80%も上昇しているそう。1年もたたずに80%の上昇って…。
ネットを調べると、「肥料価格などの高騰もあって、稲作農家がまったく儲からず(むしろ作れば作るほど赤字になって)、廃業を余儀なくされている」といった悲痛な記事も目に入ってきます。
お上は、この状況を分かっていて放置しているとしか考えられません。個人農家の廃業は、お上が食料をコントロールする上でむしろ好都合と考えているだろうことも伝わってきます。
アメリカの大統領選挙・プランデミック・WHO パンデミック協定…、枚挙にいとまがありませんが、「僕はお上をこれぽっちも信じていないんだなぁ。」、そんな自分の気持ちを理解してスッキリしたりしています(笑)。
信じていないと言っても、怒りをぶつけたい訳でも・そこで働く人を批判したい訳でもありません。「目指すものの波動があまりに違うので、彼らからはそっと離れた上で、自分で何とかするしかない。」、そんな気持ちです。
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”クリエイトさんのすっからかんの棚”を書きましたが、これから世界がどう進んでいくにせよ、程度の差はあれ「食糧危機」にはなっていくのでしょう。
2年前の記事「百姓レボリューション:僕に何ができるだろうか?」(前のブログ記事:開くのに時間がかかります)の世界のように、”奪い合いの食料危機が発生し、特に都市部では人口の9割が死滅”みたいなシナリオも、数ある未来のシナリオの中でそれなりの確率で起こりうるのだと思っています。
こうしたシナリオに備えるためには、都市部に住んでいては多分駄目で、農村で自給を軸としたコミュニティに属している必要があるのだと思います。実際に、そうしたことを念頭に、地方に移住した方もいることと思います。
また、数ある未来のシナリオの中では、我々人類が全滅してしまうシナリオも、それなりの高確率であるように思えます。
こうした事態は、全編を通して愛に溢れる本である『アミ 小さな宇宙人』の中でもはっきりと描かれています。
文明全体の愛のレベルより、科学のレベルが突出してしまうと、その文明は必ず破滅を迎えるのだそう。
40年~50年前に書かれた本ですが、世界の破滅の可能性とその時の様子がけっこうリアルに描写されています。
自分や家族の生存確率を少しでも上げることを考えるならば、早期に地方に移住するのが論理的に考えて正解に思えたりします。
また、未来のシナリオは無数にあるのでしょうが、現在のお上の様子を見ていると、ハッピーエンドな結末をイメージすることが僕にはどうしてもできませんでした。それこそ0.000001%も。
ですが、少し前のある時、突然僕の中で腑に落ちる瞬間がありました。
「あっ、0.000001%かも知れないけれど、たしかに世界のみんなが幸せになるシナリオが”ある”」、と。
根拠はありませんが、確信があります。
この世の中、イメージ可能なことはすべて実現可能ですので、僕の意識はそのシナリオにフォーカスしていこう。そして、そのイメージからバックキャストして今を生きていこう。
僕の中で腹が座った瞬間でした。
ちなみに、臨死体験をした木内鶴彦さんが見た、未来のたくさんの可能性の中にも、ごく僅かな可能性ながら都市が緑に包まれて調和して存在し続けるシナリオがあるそうです。
「もしうまくいかなかったら?」、そんなことを考えないこともありません。
うまくいかないとは、”ごく僅かに残された世界のみんなが幸せになるシナリオ”に進めなかった場合のこと。
「その時は…、潔く最期の時を迎えればいいじゃないの。」、そんなことも思います。勿論、これは僕の感覚であって、みなさまに押し付けるものではありません。
最近、僕の肉体の生死も表面的なものに感じられてきたりします。僕たちは魂の存在ですしね。
様々なパラレルワールドも深いところでつながっていますし、幸せな世界で暮らす人が確実に存在するのならば、それだけでもう希望に思えてきたり。
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そんな中で僕はどうしていくかと言えば、今までと変わらずにひだまりをやっていきます。
僕自身の愛の感覚を深めながら。コミュニティ全体の愛の感覚を磨いていきながら。
それが僕のお役目であり、この世に存在している意味だとも思いますし。
夏至を前に。
世界のみんなが幸せになるシナリオにフォーカスして、そこからバックキャストして今を生きていこう。
お読みいただきありがとうございます。
〈給食〉
・麦ごはん ・高野豆腐のみそそぼろ煮 ・チンゲンサイとわかめの和風スープ ・大根のじゃこ炒め
〈おやつ〉
・コーンおにぎり
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