みなさまいつもありがとうございます。
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上の写真、園の玄関の靴箱の上でひっそりと咲く、ハイビスカスです。
鉢植えの株を冬越しに向けて選定した際、まだ蕾が残っていたので、花瓶にさしておいた所、花開いてくれました。
夏の花であるハイビスカスが12月まで咲き続けてくれること、嬉しく思っています。
そしてこのハイビスカス、この記事でも触れましたが、認知症の母にも深く関わる花です。今日はそのあたりを書いてみたいと思います。
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(↑8月頃のハイビスカス)
上記記事にも書いてありますが、母が仕事を退職する直接のきっかけとなったのは、右手首の骨折。それは、7月15日(火)の朝の出来事でした。
母から「手が痛くて、どうにも仕事にいけなさそう。どの病院に行ったらいい?」、と電話があったので、妻にお願いして整形外科に連れていってもらったところ、骨折が判明しました。
ただ、骨折をした母も、どういった状況で骨折をしたかを覚えていないのです。
朝の出来事ですので、自宅内で骨折したのは間違いないですし、転倒したか右手のつき方が悪く骨折したことは推測できるのですが。
骨折に先立つ7月13日(日)、僕は母を連れてドライブに出かけました。行き先は千葉ニュータウンのホームセンター。
そこの園芸売り場にあった、鉢植えのハイビスカスを母が気に入り、購入して自宅で育てることに。
その日は僕が預かり、大きめの鉢に植え替えて、改めて母の自宅に持っていくことにしました。
園で大きめの空き鉢を探した所、ちょうどいいと思ったのは、陶器の9号鉢。そこに重めの土を入れて植え替えたところ、けっこうな重さとなりました。
「ちょっと重いかな?」とも思いましたが、重ければ風にも強いしいいかな、と。
そして、母の家に持参したのが、骨折前日の7月14日(月)。センターポジションに鉢を置いてみるといい感じ。
ですが、その日は台風接近が警戒されていて、既にかなりの強風。強風で鉢が倒れるとは思いませんでしたが、満開の花が散ってしまうだろうとは思いました。
なので、ベランダの端の方に僕が鉢を移動させ、台風に備えることに。
そして骨折の15日を迎えます。
右手をギブスに固められた母を見舞うため、僕は夕方実家を訪れました。何気なくベランダに目をやったのですが、その時に僕の脳が一瞬フリーズしたのを覚えています。
何故なら・・・、ベランダの端に避難したはずのハイビスカスの株が、センターポジションで咲き誇っているのすから!
勿論僕は、ハイビスカスの株を戻していません。妻もやっていません。
となると・・・、鉢を戻したのは母ということになります。
骨折の状況はもう誰にも分からないのですが、可能性として最も高いのは、母があの重い鉢をセンターポジションに戻そうと移動させた際の転倒なのではないでしょうか…。
そんな母は、センターポジションで咲き誇るハイビスカスを眺めてご満悦で…。
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あの時ハイビスカスを買わなければ…。もっと軽いプラスチックの鉢に植え替えていれば…。そんなことも考えはしました。
ですが、そんな時にも・そんな時だからこそ、くよくよしないのが僕という人間だと思っています。
僕も精一杯やった。母も精一杯やった。だったら仕方がないじゃないか。そこはその後もブレることはありませんでした。
日々の些事で心を煩わせることは正直あります。ですが、人生の大きな流れに関して、文句を言ったことは、改めて振り返ってみても、今までほぼなかったはずです。
そのぐらいの自己肯定感を、僕は持ち合わせている。そんなことも改めて確認したのでした。
ということで、ハイビスカスを恨む、なんてことも勿論ありませんでした。
むしろ逆で、その後もハイビスカスを愛でる母を見て、ハイビスカスをより大切にしたいと思いましたし、長く花を咲かせてほしいと願いました。
重い鉢をそのままベランダに置き続けることは、さらなる怪我のリスクを伴います。それは分かっていましたが、あえて鉢は撤去せず、母と共に過ごしてもらいたいと僕は思ったのでした。
そんなハイビスカスの株も、最近の気温低下でさすがに勢いも衰え、頃合いだと思って実家から引き上げて今に至ります。
そんなハイビスカスの最後の花が、園の玄関で花開いている12月初日。
今までありがとうね。
お読みいただきありがとうございました。

(↑先週末11月30日、お泊り会の後に母を連れて、船橋アンデルセン公園へ。)

(↑かなりお気に入りの1枚)

(↑11月22日、母とアイ・リンクタワーへ。富士山とスカイツリーが見事でした!)
〈給食〉

・五分つきごはん ・にんじんの白和え ・さつまいもとブロッコリーのおみそ汁
〈おやつ〉

・きつねおにぎり


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