みなさまいつもありがとうございます。
(↑北市川スポーツパークへお出かけ。)
突然ですが、僕は英語でのコミュニケーションがほぼできません。
読み書きはまだしも、特にリスニングに苦手意識を持っています。学生時代、勉強したつもりですが、とうとう”もの”にできませんでした。
ペーパーテストはできても、会話ができない。典型的な日本の英語教育の罠(?)に陥いりつつ育った感じです。
リスニングをする僕自身を振り返ってみると、英語の一文を、いちいち日本語に翻訳して理解しようと試みていたと思います。そんな思考パターンに支配されていました。
日本語への翻訳、そこに大きなエネルギーを使っていて、翻訳が間に合わないうちに次の文が流れてくると、処理が間に合わずにもう分からなくなる。
僕より自然にリスニングが出来ている人は、きっと僕ほどいちいち翻訳をしたりせず、英語のままのイメージで理解をしているのでしょう。(と思っています。)
相手を目の前にした英会話では、内容が分かろうが分かるまいが、相手の目を見て、相手の存在を受け止めるスタンスで接すればよかったのに。
僕は頭で考えようとし過ぎていたのだと思います。もっとシンプルに、イメージの世界でやり取りをすればよかったのに。それこそ子どものように。
でも、長年に渡って、社会全体が・教育全般が、「考えろ!考えろ!」という方向に導こうとしていますからね。
社会全体のこうした流れも、そろそろ卒業していき、新しい流れに向かってほしいものです。
☆
(↑ゴロゴロと転がる、の図。)
英会話の例を出しましたが、究極的には、ことばがなくてもコミュニケーションはできるはず。そんなことを最近よく感じています。
先日の記事「「寝かしつけ」について」で書きましたが、寝かしつけ時に僕がしているのは、”手当て”をしながらのエネルギーによるコミュニケーション。
そして、ことばなしのコミュニケーションの典型が、テレパシー。
出典はこちらのyoutubeチャンネルとなりますが、僕たちは誰でも、程度の差はあるにせよ、日常的にテレパシーによるコミュニケーションをしているそうです。
典型的なのは、「あれ、何だっけ、あれ?」と聞いて、「ああ、あれね!」と返すような会話において。
「あのドラマに出ていた、あの人、ねえ、誰だっけ?」と聞かれた瞬間に、頭の中にある女優の顔が浮かんだりします。
そうしたコミュニケーションがテレパシーだそうです。
たしかに、瞬間的に女優の顔が浮かぶ時って、英語を日本語に翻訳するような”頭”は使っていませんよね。リスニングが得意な人のように、流れてきたイメージをそのまま受け入れていますよね。
なるほどねぇ。
そして、「あのドラマに出ていた、あの人、ねえ、誰だっけ?」と聞かれたときに、「え?、ドラマのどの部分?どんな服を着ていた?」と頭で考えて会話を始めた時には、もうテレパシーでのイメージは降りてこないそう。
こちらもなるほどです。
また、ことばを介したコミュニケーションより、テレパシーでのコミュニケーションの方が、はるかに伝達が正確で情報量も多いそう。
ことばの表現には限界がありますし、多少なりとも理解のズレは必ず起こるでしょうし。
その点テレパシーであれば、イメージがそのまま流れ込んでくるので、理解のズレは起こり得ないそう。
そうだよなぁ。
誰もが使っているテレパシーでのコミュニケーション。
テレパシーの発信・受診精度を上げて、頻繁に利用するためには、結局のところそれぞれが感受性を磨く必要があるとのこと。
言い換えれば、愛の感覚を深めることであり、精神性を磨くこと。
僕自身も日常的にテレパシーを使っていると認識するだけで、見える世界は変わってくることを実感しています。
そういた意識を持ちつつ、自分自身を整えていきたいです。
お読みいただきありがとうございます。
(↑多くの子が転がっています(笑))
〈給食〉
・五分つきごはん ・豆腐としめじ・玉ねぎの煮物 ・コーンと枝豆のおみそ汁 ・きんぴらごぼう
〈おやつ〉
・わかめごはんのおにぎり
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