自分のペースで、自然のエネルギーを全身に浴びるような機会を、定期的につくっていきたい

感覚・感情メイン

みなさまいつもありがとうございます。

(↑市川市立考古博物館へお出かけ。)

 

2月26日の記事「春のお花の群生の絶景、追い求めたい!」で、”カタクリとミツマタの群生をこの目で観たい”と書いていましたが、観てきました!

上の写真はカタクリ。栃木県の三毳(みかも)山にて。3月23日撮影。

そして、下の写真はミツマタ。山梨県の都留アルプスにて。3月30日撮影。

 

上記の記事には、”2月、体調的に無理をせずに過ごし、よく体を休めることとなった”・”体から毒がかなり抜けた感覚がある”、と書いていました。

その通りなのですが、記事を書いた頃は、”無理ができずに、暇を見つけては寝て過ごす”ような生活でもありました。

その頃の想いが、時を経て実現することになって、嬉しく思っています。

 

念願のお花たちを観に行って、感じたことがあります。

カタクリを観た際、わーっと感嘆して写真をたくさん撮りました。ですが、後で見返してみた時、こころに響く写真がほとんどありませんでした。そのことに愕然としたことが記憶に新しいです。

「何でだろう…?」と考えましたが、”僕がカタクリたちとしっかり向き合っていなかったから”だと分かりました。

 

写真は”撮影者の心の内面を写すもの”だと僕は思っています。

僕が被写体と向き合わずに、表面的な”映え”に意識が引っ張られていると、それこそ表面的な写真しか撮れません。

 

上記に、”2月は寝て過ごした”と書きましたが、振り返ってみれば、(3月11日の記事「今をそのまま受け入れる」とも関連するのですが、)先々の健康に意識が行きた結果、僕の意識が「今・ココ」から離れがちになってしまった面があったみたいです。

しばらく山にも行かず、大自然のエネルギーを全身で感じる体験からも離れてしまっていました。

そんなこともあって、”いざカメラを向けても、僕のこころが定まらない”、みたいなことが起こっていたようです。

 

こころを整えること・目の前のものに向き合うこと、を意識して臨んだ1週間後のミツマタ撮影、自分では納得できる写真を多く撮れました。

 

山を歩きながら、自然のエネルギーを全身に浴びていると、自然とこころが整っていくことを感じます。

栃木・山梨への遠征は1日仕事ですし、身体は疲れた面はあると思います。ですが、こころは自分でもびっくりするぐらいスッキリしていました。

撮影から帰った翌日の月曜日、お迎えのお母さまから「じゅん先生、何だかスッキリした感じがします。」とも言われました。

 

ひだまりの日々のお散歩も、自然と触れ合いを大切にしています。

ですが、それに加えて、「自分のペースで、自然のエネルギーを全身に浴びるような機会を、定期的につくっていきたい。」、そんなことを思いました。

 

念願のカタクリ・ミツマタを観ることができましたし、お花という意味では次は桜、だな。

その後は、テント泊登山挑戦や、GWには残雪期の雪山、6月には尾瀬宿泊と、僕の中では初めての体験も続いていく予定です。

 

お読みいただきありがとうございました。

 

 

〈給食〉

・コーンとツナの炊き込みごはん ・厚揚げとキャベツのみそ炒め ・もやしとわかめの和風スープ

〈おやつ〉

・こんぶとおかかおにぎり

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