彼のために一肌脱ぎたかった

感覚・感情メイン

みなさまいつもありがとうございます。

(↑駒形大神社にて)

 

5歳児クラスの男の子が、下の学年の子にあるいたずらをした。

M先生が事情を聞くと、彼は「(同じ5歳児クラスの)〇〇くんにやれと言われたからやった。」、と言った。

〇〇くんに聞くと、「そんなことは言っていない。」、と言った。

つまり、彼らのうちのどちらかが嘘をついていることになる。

ふたりの主張は平行線で、一向に着地点は見えない。

 

もし、嘘をついたのが3歳児クラスぐらいの未成熟の子だったならば、僕が介入することはなかったと思う。

未成熟ゆえの嘘ならば、それは仕方がないと思うから。

だけど彼らは違う。一定以上の成熟度があって、嘘をつくとはどういうことか、一定以上分かっている。

「このままではいけない…。」、そんな強い感覚があって、僕は彼らに嚙みつくことにした。

 

改めて、僕が話を聞いてみても、ふたりの主張は平行線のまま。

僕のリミッターは解除済み。オブラートには包まない。咆える(笑)。そんな時の一人称は”僕”から”俺”へ(笑)。

「あのさ、ふたりのうちのどちらか、嘘をついているってことだよな? にじ組にもなって、チャレンジ登山もやり切って、今更どういうこと?」

「だいたいさぁ、友だちに嘘をつかれて自分を売られて、腹が立たないのかよ! お互いにとことんやり合ってくれよ! 殴り合いでもなんでもさぁ!」

僕のコメントが適切かどうかなんて知らない。自分を解放して、その上の流れでそうなった。ただ本気なだけ。

 

殴り合いにはならなかったが、にらみ合うふたり。

「お前が嘘をついているだろ!」、相手を指差して言うひとり。「いや、嘘をついているのはお前だろ!」

そんな応酬が長いこと続く。彼らの目が据わってくる。

 

僕は僕で、嘘をつくのは自分がつらいこと・嘘を守るために嘘を重ねなければならなくなること・自分のためにできれば嘘をつかない方が楽なこと、を熱弁する。

僕ができることは、それぐらいしかなかった。

 

着地点なんて見えていなかった。

だけど、最後の最後で、ひとりの子が自分の嘘を認めてくれた。

その時に僕の口から出てきたことばは、「言ってくれて…、よかった…。」だった。

彼の表情、晴れ晴れしているように感じられた。よかった…。

 

ふたりの内のどちらかが嘘をついていた訳だけど、状況から察するに、嘘をついているのはこの子の可能性がきわめて高い、そんな感覚があった。

かと言って、憶測で断定してしまうのは、絶対にいけないこととして。

 

前述の通り、その彼はこの歳にしては、かなり成熟している。

自分の発言を受けて、相手が何を感じているかを察する力を持っている。

そういったことを常に考えながら話す力を持っている。

嘘で自分を装うこともできるだろう。

 

そんな彼だからこそ、何となくの上辺の解決で終わらせたくなかった。

卒園までに、今回のように彼の心に自然に・深く切り込める機会はもうないかも、と思った。

だからこそ今回、踏み込んだ。

彼のために、一肌脱ぎたかったのだ。

 

彼に限らずだけど、彼がこれからのひだまり生活で・小学校生活で、一度も嘘をつかないかと言えば、そんなことはないだろう。

でも、これからの彼の人生の中で、今回の”嘘を認めることができた経験”・”その時、思ったよりは怒られなかった経験”などが、何かのきっかけになることを切に願う。

気がつけば、給食の時間が終わっていた。お腹が空いたといえば空いたし、そうでもないと言えばそうでもない。そんな男3人。貴重な経験をさせてもらった。

 

お読みいただきありがとうございました。

〈給食〉

・五分つきごはん ・豆腐入りひじきの煮物(ごぼう・人参・干し椎茸) ・キャベツのおみそ汁 ・きゅうりの浅漬け

〈おやつ〉

・お誕生日パンケーキ

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