みなさまいつもありがとうございます。
(↑駒形大神社にて)
5歳児クラスの男の子が、下の学年の子にあるいたずらをした。
M先生が事情を聞くと、彼は「(同じ5歳児クラスの)〇〇くんにやれと言われたからやった。」、と言った。
〇〇くんに聞くと、「そんなことは言っていない。」、と言った。
つまり、彼らのうちのどちらかが嘘をついていることになる。
ふたりの主張は平行線で、一向に着地点は見えない。
もし、嘘をついたのが3歳児クラスぐらいの未成熟の子だったならば、僕が介入することはなかったと思う。
未成熟ゆえの嘘ならば、それは仕方がないと思うから。
だけど彼らは違う。一定以上の成熟度があって、嘘をつくとはどういうことか、一定以上分かっている。
「このままではいけない…。」、そんな強い感覚があって、僕は彼らに嚙みつくことにした。
☆
改めて、僕が話を聞いてみても、ふたりの主張は平行線のまま。
僕のリミッターは解除済み。オブラートには包まない。咆える(笑)。そんな時の一人称は”僕”から”俺”へ(笑)。
「あのさ、ふたりのうちのどちらか、嘘をついているってことだよな? にじ組にもなって、チャレンジ登山もやり切って、今更どういうこと?」
「だいたいさぁ、友だちに嘘をつかれて自分を売られて、腹が立たないのかよ! お互いにとことんやり合ってくれよ! 殴り合いでもなんでもさぁ!」
僕のコメントが適切かどうかなんて知らない。自分を解放して、その上の流れでそうなった。ただ本気なだけ。
殴り合いにはならなかったが、にらみ合うふたり。
「お前が嘘をついているだろ!」、相手を指差して言うひとり。「いや、嘘をついているのはお前だろ!」
そんな応酬が長いこと続く。彼らの目が据わってくる。
僕は僕で、嘘をつくのは自分がつらいこと・嘘を守るために嘘を重ねなければならなくなること・自分のためにできれば嘘をつかない方が楽なこと、を熱弁する。
僕ができることは、それぐらいしかなかった。
着地点なんて見えていなかった。
だけど、最後の最後で、ひとりの子が自分の嘘を認めてくれた。
その時に僕の口から出てきたことばは、「言ってくれて…、よかった…。」だった。
彼の表情、晴れ晴れしているように感じられた。よかった…。
☆
ふたりの内のどちらかが嘘をついていた訳だけど、状況から察するに、嘘をついているのはこの子の可能性がきわめて高い、そんな感覚があった。
かと言って、憶測で断定してしまうのは、絶対にいけないこととして。
前述の通り、その彼はこの歳にしては、かなり成熟している。
自分の発言を受けて、相手が何を感じているかを察する力を持っている。
そういったことを常に考えながら話す力を持っている。
嘘で自分を装うこともできるだろう。
そんな彼だからこそ、何となくの上辺の解決で終わらせたくなかった。
卒園までに、今回のように彼の心に自然に・深く切り込める機会はもうないかも、と思った。
だからこそ今回、踏み込んだ。
彼のために、一肌脱ぎたかったのだ。
彼に限らずだけど、彼がこれからのひだまり生活で・小学校生活で、一度も嘘をつかないかと言えば、そんなことはないだろう。
でも、これからの彼の人生の中で、今回の”嘘を認めることができた経験”・”その時、思ったよりは怒られなかった経験”などが、何かのきっかけになることを切に願う。
気がつけば、給食の時間が終わっていた。お腹が空いたといえば空いたし、そうでもないと言えばそうでもない。そんな男3人。貴重な経験をさせてもらった。
お読みいただきありがとうございました。
〈給食〉

・五分つきごはん ・豆腐入りひじきの煮物(ごぼう・人参・干し椎茸) ・キャベツのおみそ汁 ・きゅうりの浅漬け
〈おやつ〉

・お誕生日パンケーキ


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