みなさまいつもありがとうございます。
(↑市川市民キャンプ場に出かけました。)

(↑子どもたちのリクエストで”どろけい”をしています。)
昨日の記事で、僕はこんな風に書いていました。
3~5歳児クラスの後半は、特別なおもちゃ「上級生向けおままごと」で遊びました。
今年度、表面的な刺激を少なめにして、毎日を積み上げてきたのはご存知の通りですが、それはおもちゃの選択においても同様。
年度終わりのまとめの時期に(今年度初めて)だしてみて、みんなが刺激に振り回されることなく、じっくりと遊ぶ姿を見られるのは、とても嬉しいことです。
”みんなが刺激に振り回されることなく、じっくりと遊ぶ姿を見られるのは、とても嬉しい”と書きましたが、これが本当に嬉しくて。
1日経った今でも、喜びがじんわりとわき続けています。
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今の5歳児クラスの学年、1年と少し前の段階では在籍0名でした。
今年度は5歳児クラス0名での運営となる可能性が高かったのですが、ありがたいご縁を2件もいただき、在籍2名で今年度を迎えることができました。
さて、最高学年のふたりにとっても、手探りの状態でのひだまり生活が始まりました。
ですが、彼らを中心とした、子どもたち全体としての遊びや生活のレベルは、今よりもずっとずっと拙いものでした。
表面的な刺激を求めて、鬼ごっこなどの刺激的な遊びをやろうとします。
ですが、全体として、鬼ごっこを遊び切るだけの”遊ぶ力”がまだまだ不足していて、遊びがすぐに空中分解することがあまりにも多い。
それでも彼らは自分たちの遊びを面白いと思っていのですが、表面的な刺激を受けているだけで、遊びを深く味わえているとはとても思えません。遊びを味わう力も当然まだ未成熟ですし。
そんな背景があって、刺激的な集団あそびを封印して・生活のペースも意図的にスローにして、ゆっくりと各所を巡るような”地味なお散歩”を愚直に続けるような毎日が続きました。
生活の1つひとつを丁寧に積み上げていくことにも注力してきました。
”地味に”・”当たり前に”みたいなことが、今年度を通したキーワードだったように思います。
”地味に”・”当たり前に”、それが子どもたちにとって、表面的な面白さに溢れているかと言えば、そうではなかったと思います。
刺激を与えるのは簡単。刺激で表面上の楽しさを演出することは簡単。
ですが、”地味に”・”当たり前に”を貫くには、一定の胆力が必要です。僕たち自身を信じぬく力が必要です。
大きな認可園ではここまで貫くことはなかなか出来ないでしょう。ひだまりならでは、だとも思います。
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「絶対にそうすべき」という信念があって、”地味に”・”当たり前に”を徹してきましたが、年度が始まった頃には、それがどんな風に実を結ぶのか、まったく想像もできていなかったのも正直なところです。
この1年、色々なことがあって、子どもたちは徐々に力をつけていきました。
そして、特に最近になって、”地味に”・”当たり前に”を意識する必要がなくなってきたことを感じていました。
年度の最終月、3月になりました。
昨日、”派手な”おもちゃとして認識している「上級生向けおままごと」を何の疑いもなく出している僕がいて、自然な形でじっくりと遊び尽くしている子どもたちの姿がありました。
今日も子どもたちのリクエストで”どろけい”をやりましたが、4歳児クラスが別の活動で不在にもかかわらず、全体としてよく遊べていました。
今年度の手探りの取り組みが、1つの形として、実を結んだことを感じています。
それが嬉しいのです。
ちなみにM先生、「上級生向けおままごと」の存在自体を忘れていたそうです。意識から派手なものは除外していたからこそ、です。
”地味に”・”当たり前に”は、僕だけでなく職員みんなのキーワードでした。チームみんなで取り組んできたことです。
お読みいただきありがとうございました。

〈給食〉

・麦ごはん ・ねぎとかまぼこの卵焼き ・切り干し大根とにんじんのおみそ汁 ・トマトとわかめの甘酢和え
〈おやつ〉

・お誕生日パンケーキ
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