僕自身が”愛の人”である

感覚・感情メイン

みなさまいつもありがとうございます。

 

あるお母さまが、以前のお仕事で関わったある少年の話、を連絡ノートにシェアしてくださいました。

「愛をもって、相手の心が溶かせるか?」、そんなテーマを今のお母さまが考察しながら。

長文のエピソードを何日にも渡って、連載するようなかたちで。

 

少年やその家族が直面していた境遇・環境は、今の僕から見ても、なかなか凄まじいものに思えます。

お母さまは当時、少年を救いたい気持ちを強く持っていました。ですが、お母さまの力ではどうしようもないことも多く、やるせなかったそうです。

そんな当時を振り返って、今のお母さま、こんなコメントをされていました。

今思えば、人が人を救うなどおこがましく、それは神様とか大いなるもの等の領域なのだと思います。

 

そして、「愛をもって、相手の心が溶かせるか?」について、考察は進んでいきます。

とかせてもとかせなくても、一喜一憂することなく自分の愛をもって、自分が今日できる範囲の愛を今日できる場所で、できる人に送っていく。たんたんと。と今は思うのです。

物理的に何もできなくても想う、願うも愛のかたちですよね。その愛の循環と連鎖が広がっていき、よい方へ変化していくことを信じて。

本当の愛に触れたたましいは、その核心部分に刻まれいつかいつか(例え今世でなくても)気付くと思うのです。

 

”相手を救う・変える”という感覚から、”自分自身の愛にフォーカスをして、自分を・自分周辺を愛で満たしていく”という境地へ。

お母さま、さすがだと思います。

 

(↑第一期卒園児のKお姉さんが来てくれてました。)

 

このお母さまのエピソードは、若い職員さんたちにも強い印象を与えたようです。

〈職員さんの連絡ノートの記述より〉

ノートの”人が人を変えるなんておこがましい、神様の領域” ”愛が人を溶かすかはどうであれ、愛を持って日々自分のできることを”、がとても印象深いです。

ひだまりでの日々は、まさにこれのことだ、と思いました。

私が子どものためにオムツを替えたり、着替えさせたりしているその他諸々の身の周りのことは、単なる行動であり(TO DO)、極論、私じゃなくても良いことだなぁと。

どう向き合っていくか、その時どんな愛が心にあるかだよな…(TO BE)と、改めて大切なベースの部分を感じながら、今日を過ごすことができました。

それでもやっぱり自分の弱い部分は沢山ありました。もっと優しい人になりたい!と感じた一日です。心を磨き続けるしかないです。

こんな気付きを得られるお母さま方との出会いと毎日に感謝です。

 

自分の「あり方」にフォーカスをしっかり定めて、今日1日を送った様子が伝わってきました。

とても素敵なことだと思いました。

 

”その時どんな愛が心にあるか”、僕も改めて大切にしていこう。

 

ところで、明後日の”緊急草刈り会”には、少なくない人数が集まりそうです。

「みなさまのご恩に報いるために、僕はどうあるべきか?」、と考えます。

その時にたどり着く結論は、『僕自身が”愛の人”である』、に収束していくのです。

僕がみなさまにとって、手伝うに足る人であれるように。勿論、手伝いたいかは、相手が決めることとして。

結局はいつもここに、立ち戻っていくのです。

 

僕も日々、素敵な学びをさせてもらっています。

お読みいただきありがとうございました。

〈給食〉

・五分つきごはん ・さつまあげと切り干し大根の煮物 ・じゃがいもと小松菜のおみそ汁 ・コーンの煮びたし *じゃがいもは園で収穫したものを使用

〈おやつ〉

・じゃことのり混ぜおにぎり

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