”今の僕のこころのあり方”、に意識的であろう

感覚・感情メイン

みなさまいつもありがとうございます。

(↑スポーツパークでマラソン中)

 

認知症の母、今の彼女には不安がいっぱい。

「働けなくなって、生きていけるか心配」・「今の家に住み続けられるか心配」・「明日のデイサービス、行けなかったどうしよう…」・・・、不安の内容は大小さまざま。

認知症は思考能力・判断能力も徐々に奪っていきますので、彼女が不安を抱えることは仕方がないことだとは思います。

ですがそれにしても、彼女の根底に『生きるって大変・つらい・苦しい』みたいな感覚が深く刻まれていることを感じます。だから、何をするのも不安。

僕が「大丈夫だから!」と何度声をかけても、それは彼女の深いところには、なかなか届かないのが現状です。

 

 

母の姿を見て、「僕は彼女とは違う」と思いたい自分もいるのですが、そんなに違う訳でもないことに気付かされます。

多かれ少なかれ、僕自身も『生きるって大変・つらい・苦しい』と思っているみたい。

  

ところで、昨日の記事で『「冬至に向けて、今後の進む方向を改めて定め、自分のあり方を整えなさい」、そんなメッセージを何度も受け取っていました』と書きました。

この記事で、ひとつの可能性ながら、夢のような世界が待っていることも書きました。

改めて、上記記事のように、「労働をしなくても、生活していけること・生きていけることは保証されている」、そんな世界に向かうように、”今の僕のこころのあり方”を定めていこうと思いました。

 

「まずは自分を大切に・相手も同じように大切に」、これはひだまりの根底を支える感覚ですが、上記の世界では誰もがそういった感覚を持っている、ということになるでしょう。

だから、相手に自分自身を委ねることに、何の不安もありません。そこに悪意など存在する訳がありませんからね。

 

”今の僕のこころのあり方”、まだまだ手放すべき感覚がたくさんあることにも気付かされます。

たとえば、僕は”相手を出し抜こう”とまでは思っていないつもりでも、”相手より優れていたい”という感覚はたしかに持ち合わせています。

”相手より優れていたい”感覚は分離を生み、相手を出し抜く結果になっても不思議ではないのに。

 

”今の僕のこころのあり方”、というものに意識的であろうと思います。

お読みいただきありがとうございました。

 

〈給食〉

・麦ごはん ・油あげの肉じゃが風 ・白菜・えのき・わかめの和風スープ

〈おやつ〉

・コーンおにぎり

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