三峯神社の注意と、僕の神社参拝感

感覚・感情メイン

みなさまいつもありがとうございます。

《ミニ入園説明会(要予約)》
 9月29日(日)の10時から・10月26日(土)の13時から、開催いたします。
 詳しくはこちらをご覧ください。

(↑行田公園をマラソン中。やっと涼しくなりましたので、体を動かすことを主目的に。)

 

先日の記事「三峯狂騒曲」で、三峯神社のことを書きました。

この記事を読んだ(記事で紹介したお母さまとは別の)お母さまが、三峯神社について、連絡ノートにこんなことを書いてくださいました。

三峯神社について、”パワースポットとして有名だからといって安易に行ってはいけない”と知人に言われてから、行きたい気持ちはほとんどありません。

というのも三峯神社はオオカミ(動物)を祀っているため、お礼参りは勿論、定期的に報告に行かれない人はとんでもないことになる、そう。

動物は人を忘れないから、たくさん来てくれる人には良くなってほしいなと願いを助けるが、逆に興味本位で来た人には…ということらしく、メディアでは三峯神社での祈祷後、願いが叶い足繫く通っている人のエピソードを取り上げるだけで、その逆のパターンがあることは伝えていないから、憑き物を落とす仕事をしている知人としては、やるせない気持ちになるそう。

じゅん先生が三峯神社の空気を薬にも毒にもなるとブログに書かれていたので、分かる人には分かるものなんだなーと思いました。

 

憑き物を落とす仕事をしている知人の方、「最近体調が悪いのですが、内科的な検査では異常なしと診断されるのです。何かに憑かれていますか?」、みたいな相談を受けるそうです。

その際に「最近どこかへ行かれましたか?」と聞いてみると、「三峯神社」な場合が多いのだそう…。

そして、憑いているのが人ではなく、動物な場合は厄介なのだとか。

 

前述の記事でご紹介した、「三峯神社は今一番行きたい場所なんです」のお母さま、三峯神社を今一番行きたい場所としつつも、「今まで何度か行く計画があったのですが、ことごとく急用などが入って、行くことが出来なかったんです。」とおっしゃっていました。

行くことが出来ないのならば「行くな」のサインかも知れませんね。

このお母さまに限らず、しっかり考えた上で行くのがいいかも知れませんね。

(↑”やどかえ鬼”をやっているところ。)

 

こうした話題に触れてみて、ふと、「僕って、どんな感覚で神社参拝をしているんだろう?」と思いました。

振り返ってみながら、僕なりの神社参拝感(?)みたいなものを書いてみようと思います。

と言っても、僕は神社について特別な勉強をした訳ではありませんし、あくまで”僕なり”の感覚ですが。

 

まずはじめに。

僕は、神社の鳥居をくぐった先は「異世界」だと認識しています。

そこは神さまが司る世界。そこに畏敬の念を抱きながら、入らせていただく。それがすべての神社参拝の基本だと思っています。

 

僕たちの肉体は、鳥居を簡単にくぐることができます。

ですが同時に、鳥居の先の「異世界」は、結界によって外の世界と隔絶された空間でもあります。鳥居は結界の要となっています。

何のために結界があるのか? それは・・・、祀っている神さまを、神社の外に逃がさないため。

神社って、”神さまを閉じ込めておく代わりに、神さまにとって心地いい場所を提供して、ご利益をいただく”、そんな側面を持った場所なのだと思っています。

(↑”しっぽ取りゲーム”をやっているところ。)

 

そもそも、神社でお願いをすること自体、どうなのでしょうか?

毎日神社の掃除をするとか・本当に足繁く通っている人の願いであれば、神さまは喜んで叶えようとしてくださるかも知れません。

ですが、それ以外の人の願いは、神さまだって受け止め切れなくても不思議ではないと思っています。三峯神社の神さまに限らず。

安易にお願いをするのも考えもの、なのかも知れません。

 

たしかに僕も、駒形大神社の神さまに「この近くで園をやりたいんです。」と話しかけたことはあります。その節は本当にお世話になりました。

ですが、僕は基本的に神社でお願いごとはしません。神さまに話しかける内容は、基本的には3つだけだと思います。

ひとつは、この場所を訪れさせていただけたことのお礼。

2つめは、今まで幸せに過ごせてきたことのお礼。

もうひとつは、僭越ながらも、神さまがご健勝であられることをお祈り申し上げること。

改めて思い返してみても、”神さまに願いを叶えてもらう”という意識はほとんどないなぁ。

 

それでも、僕は神社参拝が好きです。

何故好きなのかを考えてみると、神さまや異世界空間の”エネルギー”を感じるのが好きだから、だと思います。

そうしたエネルギーに触れることで、自分自身のエネルギーも影響を受け、直観を通して新たな道が開けることもあります。

他力本願で”神さまに何とかしてもらおう”というより、自分の道を模索するきっかけをいただきにいく、そんな感じです。

 

以前、鹿島神宮をひとりで訪れた際、メインの参道脇に「これは…!」と感じた大木がありました。

大木の前に両ひざをついて、両手を幹に当てて、大木との対話を始めた僕。神社の方に止められることもなく、気付けば1時間経っていました。

目を閉じていましたし、周りで何が起きていたかは意識の外でしたが、多分ものすごく目立っていたと思います(笑)。

でも、”本気参拝モード”の時の僕は、まわりの目はあまり気にしません。

まあ、誰かと一緒に参拝する時は、そういったことはしないのでご安心ください(笑)。

先程、「神社の神さまは、結界によって自由に外にでることは出来ない」と書きました。

外に出たくて仕方がない神さまもいるかも知れません。神社側のおもてなし不足で、怒っている神さまもいるかも知れません。

どの神社の神さまがご機嫌かどうかは、僕などには計り知れない面があります。

なので、三峯神社に限らず、どんな神社のリスクもゼロではない、そんな風にも思ったりもしています。

 

リスクはゼロではないとは思いますが、神社の異世界空間に畏敬の念を持って、礼儀を尽くして参拝し、無理なお願いをしないのならば、さほど危険性はないのでは? とも思っています。

神社の異世界空間では、多かれ少なかれ影響を受けますので、自分をしっかり持ちながら、自分の意思で参拝することが大切なのだと思います。

まあ、僕も明らかに荒れている神社には近づきません。また、狐が神さまの使いとなっている稲荷神社にも不用意には近づかないかな。

 

僕の神社参拝感はこんな感じです。 

お読みいただきありがとうございます。

 

(↑5歳児クラス、白菜苗の植え付け中。)

〈給食〉

・五分つきごはん ・厚揚げでんがく ・白菜とわかめの和風スープ ・じゃがいものおかか煮

〈おやつ〉

・じゃことのり混ぜおにぎり

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