”ひとりの時間”が増えて

感覚・感情メイン

みなさまいつもありがとうございます。

 

妻が事故で入院となりました。仕事も・介護も・事故入院関係も、圧倒的に忙しいです。

だけど…、ある意味シンプルになったと思う面もあります。”ひとりの時間”がとても増えたのです。

病院での面会時間、1日20分以内だそう。かと言って、母の介護に今まで以上のパワーをかけられる訳でもなく、持続可能性を考えると割り切る所は割り切る必要も感じています。

”ひとり時間”が増え、期せずして自分自身に向き合う流れとなっています。

 

「冬至に向けて、今後の進む方向を改めて定め、自分のあり方を整えなさい」、そんなメッセージを何度も受け取っていました。

ですが、ちょっとふらふらとしていた僕。

そんなこともあって、「自分自身に向き合う流れに、強制的に引き戻された?」、そんな風に思う面もあります。

 

 

あるお母さまの連絡ノートの記述が印象に残りました。

癒すことについて最近よく考えます。癒されたい人、癒しているつもりはなくても結果癒されたと感じる人。癒すって何だろう。

そっと背中をさすられているだけでなんだか癒される。見ているだけで聴くだけで何かを感じ癒される。では一体何を感じて癒されているのか。

ありのままの自分を認めてもらったり、応援してくれる、その存在を感じて、がんばろうと思えることなのかな?

人によって感じ方は違うだろうけど、生き物や物質に排他的な感情を持たず、認め尊重することで、きっとたくさんの癒しや愛があふれているのでは?ということに落ちつきました。

 

”僕自身が、天と地をエネルギー的につなぐ存在であって、結果としてこの世界に愛と平和をもたらす一助となっている”

そんなイメージワークというか、瞑想を自然にするようになっています。誰かに勧められた訳でもなく、自然とそうなっています。

 

相手を癒そうという気はなくて、というか、まずは自分自身が愛の存在であることに集中していて。その結果として、必要とする人が癒しを受け取ってくれたら、それはとても嬉しいこと。

そんなことを思ったりします。

 

お読みいただきありがとうございました。

 

〈給食〉

・五分つきごはん ・厚揚げと白菜のツナ煮 ・もやしのおみそ汁

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