『単発で儀式をして終わり』ではなく、『常に瞑想をしているようなエネルギーの中で生きること』

感覚・感情メイン

みなさまいつもありがとうございます。(今日は行田公園へ出かけました。)

《入園説明会(要予約)》
 2024年9月7日(土)の9時から、開催いたします。
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腰回りを中心としたストレッチをする。家の周りを1~2㎞程度歩く。朝のクリアな意識の中で。

今週は体調が悪めの日もあったのですが、体調が悪いかどうかは関係なく、上記の日課(?)が立ち上がり、1週間が経ちました。

 

こうした習慣系の話、過去にも色々と書いてきましたが、書くのは少なくとも3か月ぐらい続いてから「〇〇が習慣になってきました。」といった書き方をしてきました。

1週間や1カ月の段階では、その後続くかどうか分かりませんし、続かない習慣のことを書くのは恥ずかしいと思ってきましたし。

実際、そうして書いたものは、その後少なくとも3か月ぐらいは続いてきましたし。

 

今回はまだ1週間の段階で記事にしています。今までとは色々と違う感覚があって書くことにしています。

まず、やっていることは体を動かすことではあるのですが、意識としては、「大いなる存在につながる儀式」としてやっています。(詳しくはないですが)瞑想とかヨガとかと同じようなものだと思っています。

先日、八ヶ岳の赤岳山頂で星空に包まれた際に、大いなる存在からのエネルギーに包まれました。そのエネルギーが僕をつき動かす形で、始まった感覚があります。

大いなる存在に身を委ねて、動かされている感覚があります。そこにはいいも悪いもなく、過不足もありません。この先続くか続かないかも関係ありません。『今』それをやっている、それだけ。

そんな感覚になっています。

 

儀式をやってみると、心身共にものすごく調子がいいです。

ですが、同時に思います。

「『単発で儀式をして終わり』ではなく、『常に瞑想をしているようなエネルギーの中で生きること』こそが大切だよな。」、と。

「儀式をするという行動自体に着目する必要もなく、心地良いエネルギーにチューニングを合わせて、そこから導かれる行動をすればいいんだよな。」、と。

 

上記は精神的な面について書きましたが、肉体的な面についても同様。

「頑張って山に登りました」は、もうおしまい。「山に登る準備ができているから、機会がある時に登れた」、であれるように。

 

そんなことを感じているこの頃です。

お読みいただきありがとうございます。

 

〈給食〉

・五分つきごはん ・冷奴(コーンと枝豆のナムルのせ) ・なすと玉ねぎのおみそ汁 ・さつまいものレモン煮

〈おやつ〉

・こんぶとおかかおにぎり

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