みなさまいつもありがとうございます。
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「アミ 小さな宇宙人」の本を数年ぶりに再読しています。
「アミ 小さな宇宙人」、この宇宙で唯一の絶対的な基準(法)である、『愛』に関して書かれている本です。
『愛』って何? 『愛』ってどんな感覚?
また、「人々が『愛』の感覚を深めていくと、社会全体がどう変わっていくのか」について、克明に書かれている本でもあります。
読むたびに、僕自身の成長に応じて、引っかかるメッセージが毎回違う本でもあります。
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今回の本筋ではありませんが、この本は40年近く前に書かれた本ながら、今の状況を正確に予言(?)しているような側面もあって、読んでいてドキッとさせられます。
「近い将来、きみたちの惑星には、いくつものたいへんなことが起こりはじめるよ・・・。」
「地質や気象・生物界の大きな変化、そして大異変や疫病、さらに数百万のひとたちが感染して苦しむ新しい病気が生まれる。」
(「いったいなにが原因で起こるの?」)
「ふたつの要因があるんだ。
まず第一は科学が自然破壊を引き起こす方向に使われていて、それがとても大きな不均衡を生み出していることなんだ。
さらには人々が発するマイナスの脳波。これがきみたちの周囲を取りまく心理的エネルギー層にとても危険な状態で蓄積され、地球の住民たちに深刻な影響を与えている。」「第二の要因は、直接人々には関係していないことで、きみたちの惑星の自然な進化・発展によるものだ。」
(第2巻「もどってきたアミ」より)
アミの本は、ひだまり開園当初から色々な機会にご紹介してきました。
その際には「この本で書かれている事、僕は8割方真実だと思っています。」みたいに言ってきました。
ですが、今では感じます。「これは100%の真実をおとぎ話風に表現(仄めかして)している本なんだ。」、と。
「100%の真実」をそのまま出す方が、『愛』のかたちとして、より純粋だと思いますし。
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ここからが本題。
このような本を読むと、完ぺきな人間になろうと、どうしても背伸びをしてしまいがちな面がある僕。
「嫌いな人がいてはいけない」とか「みんなを愛さなければいけない」とか、自分で自分を縛って、窮屈にしてしまいがち。
ですが、アミによると、これは僕だけの特性ではなくて、僕ぐらいの『愛』の進歩度の人が陥りやすいことなのだそう。
等身大の今の僕に響いたメッセージを以下に引用します。
「ぼく(アミのこと)だって、ぼくの星のひとや、ほかの世界のひとを、かならずしもすべて、こころよく感じているわけではないよ。でも、好感がもてないからといって、彼らになにか加害を加えたりはしないよ」
(「じゃ、ぼくたち地球人は、”かんぺき”になる必要はないの?」)
「それはきょくたん論的な思考法だよ。いつも理想化せずにはいられない。つまり地球人の典型的な考え方というわけなんだよね。」
「まったあわれみもなく人を殺したり、拷問にかけたり、だましたり、物欲のみに生きたり、まだまだ(地球人は)とても低い発展段階だよ。」
「にもかかわらずへいきでかんぺきさを求めるなんて!・・・ただ武器を放棄しただけでじゅうぶんなんだ。そしてみんな、仲よく家族のように平和に暮らす。それでじゅうぶんなんだよ。」
「それを実現するのになにも人間にかんぺきさなんかを、要求しなくっていいんだ。ただ、他人を傷つけることをしなくなるだけでじゅうぶんなんだよ。そのほうがかんぺきさを求めることなんかよりも、ずっとやさしいことなんだ。」
(「アミ 小さな宇宙人」より)
この本は、この宇宙の進んだ世界がどうなっているのか、僕たち地球の社会がこれからどう変わっていくべきなのか、などを示唆しているスゴイ本だと思います。
ですが、僕が今すべき・今できることって、もっと身近なこと。
「好感が持てないことから・それによる恐怖から、今までしてきてた争いをやめてみる」、そういうことなんだよなぁ、と。
今まで平気で相手を傷つけてきた言動を、自分の感性を研ぎ澄ますことによって、相手に少し寄り添えるようになって、止めることなんだよなぁ。
今までより少しだけ優しくなって、人だけではなく、動物にも物にも・地球にも少しだけ優しく生きることなんだよなぁ。
そんな風に、僕たちの日々の生活に立ちかえれるような、様々な示唆がされている意味で、本当にスゴイ本だと思いました。
この本、今までけっこうな数の関係者の方に貸し出してきましたが、読んでみたい方がいればお声がけくださいね。
お読みいただきありがとうございます。
(↑姥山貝塚公園にて)
〈給食〉
・黒ごまごはん ・油あげの肉じゃが風 ・高野豆腐と小松菜のかきたま汁
〈おやつ〉
・こんぶとおかかおにぎり
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